映画『めがね』ネタバレ感想/くっきりからぼんやりへめがね脱皮物語

3 min
海

こんにちは、なな子(@nnk__1105)です。

今回は荻上直子監督の『めがね』を観賞しました。ゆるやかな世界観で紡がれる何も起こらない話。何も起こらない映画マニアとして楽しみながら観ることができたのでレビューしていこうと思います。

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『めがね』あらすじ

春まだ浅い南の島の海辺。プロペラ機から降り立ったタエコは、あてのない旅をしてこの島にやってきた。旅館の主人・ユージに迎えられたタエコだが、毎朝起こしにくるサクラや、朝のメルシー体操、みんなで食べる食事など、島の雰囲気に馴染めずに島内のもうひとつの宿へと向かう。しかしその宿はタエコにとってさらに居心地悪く、タエコは宿を後にする──。

『めがね』感想

以下、ネタバレあり。未視聴でネタバレが苦手な方はご注意ください。

人生に必要なものはそう多くはない

もともと泊まっていたユージの宿を出て、「マリンパレス」へハルナの運転で向かったタエコ。しかし、「マリンパレス」は午前中は農作業をし午後は勉強会をするという、規則の厳しい宿だった。

絶対に無理と思ってマリンパレスを後にしたタエコだが、コージの宿までの道のりは遠く、道中で諦めそうになっていると自転車に乗ったサクラが現れる。どうやら乗せて行ってくれるらしい。

タエコはキャリーケースを持って自転車に近づくが、サクラは厳しい表情。言外にキャリーケースを置いて行けという。

このシークエンスは物語の中でターニングポイントになっていると観ながら思った。タエコはこの瞬間、キャリーケースを捨て鞄ひとつで自転車に乗り込む。その姿は毎年春になると鞄ひとつでやってくるサクラに……おそらく意図的に……重なる。

物語の終盤、タエコを「先生」と呼ぶヨモギが登場し、みんなで海辺でビールを飲むシークエンスがあるが、そのときにヨモギがくちずさむ詩は次のようになっている。

 Mir ist bewusst was Freiheit bedeutet
 何が自由かを知っている
 Folge dem Wege geradeaus,
 この道を真っ直ぐ歩きなさい
 meide die Tiefen des Meeres,
 深い海には近づかないで
 doch hab ich solch Wort hinter mir gelassen.
 そんな言葉を私は置いてきた
 Der Mond scheinet auf jedem Wege,
 月はどんな道の上にも輝く
 wie die, in der Dunkelheit, wie Diamanten schwimmenden Fische;
 暗闇に泳ぐ魚たちは宝石のよう
 heiss wie durch Zufall Mensch – und hier bin ich.
 偶然にも「人間」と呼ばれて、私はここにいる
 Was hat ich zu befuechten,
 私は何を恐れていたのか
 mit was zu kaepfen,
 何と戦ってきたのか
 bald ist es Zeit die Lasten zu legen.
 そろそろ重荷をおろす頃
 Erteile mir noch mehr kraft,
 もっと力を与えたまえ
 Kraft zur Liebe.
 愛ための力を
 Mir ist bewusst was Freiheit bedeutet,
 何が自由か知っている
 mir ist bewusst was Freiheit bedeutet
 何が自由か知っている 

この中に「そろそろ重荷をおろす頃」とある。たぶん、人生に必要なものはそう多くはない。タエコはキャリーケースを捨てたことによって島をひたすゆるやかな空気に馴染むことができた。

ものがたくさん詰まったキャリーケースは、都会の喧騒の中で生きていたタエコが自分を埋めるために持っていたものだ。しかしこの島ではそんなものは必要ないのである。

詩はこうも告げる。「何が自由かを知っている」この島で暮らす人たちは皆、何が自由かを知っているのだ。

かき氷の意味

島に着いた頃、「いえ、私は結構です」が口癖だったタエコは、島のみんなが食べるサクラのかき氷も「私、かき氷苦手なので」と断っている。なんなら島に到着した初日の夕飯も食べ損ねている。

しかし、物語の中盤、タエコはかき氷を食べて「おいしい」と笑うのだ。この物語におけるターニングポイントの2つ目である。

日本の「黄泉戸喫」でもそうだが、ギリシャ神話などでも「死者の国の食べ物を食べると現世に戻れない」という設定が逸話の中に登場するこがある。本作のかき氷はまさにその役割を果たしていて、タエコはサクラのかき氷を食べて初めてこの島の人間になったのだ。

この島で暮らす人々が穏やかでどこか生活感や真実味がないのは、意図的に死者の国というニュアンスも兼ねているからかもしれない。

エンディング

めがねごしの街並み

物語の終盤、サクラは春の終わりを告げる雨を見て島を去り、タエコもまた旅を終えて島を出ることを決心する。タエコはハルナの運転する車に乗ってプロペラ機の発着所へ向かう。ユージの書く地図にもすっかり慣れたタエコはまさしくこの島の住人である。

車の窓から顔を出した瞬間、タエコはメガネを落としてしまう。しかし車を急停止させて拾いに行くこともなく、車は走り去る。このシークエンスがわたしはこの映画で一番好きだった。ああ、この映画は、タエコのめがね脱皮物語だったのか、と思った。

めがねとは本来、ぼんやりとしか見えないものをくっきり見るためにあるものだが、タエコの場合都会に揉まれて、くっきりと見ることそのものが手段を超えて生きる意味になっていた。だからこそ固苦しく息がしづらくなって、タエコはこの島に来たのだ。めがねから脱皮したタエコは笑う。それこそがタエコの本来の姿なのである。

そして時は流れ、また春が来る。桜が毎年咲くように、サクラはまた鞄ひとつで島にやってくる。ユージやハルナがかき氷屋の開店作業に追われる中、そこにはタエコの姿もある。そこで物語は幕を閉じる。

まとめ

スローライフを提言するような『めがね』、しかしかき氷に隠された秘密など、どこか危うくて怖いくらい穏やか『めがね』。すばらしい映画でした。大枠の物語はありますが、ずっと頭を使って内容を追わなければいけないような作品ではないので、ぼんやりと観れるのもオススメポイントです。それこそ週末、家事をするときに流したりなんかして、波の音や鳥の声、登場人物たちの会話に時々耳をすますような見方でも楽しめると思いました。それでは、また次の記事でお会いしましょう。

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なな子

なな子

なな×ロマを運営しているなな子です。文学とあたたかいお茶と高所が好き。
日常をちょっと豊かにするブログとしてあなたの毎日に寄り添えたらうれしいです。

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