映画『竜とそばかすの姫』ネタバレ感想/細田守は脚本を降りた方がいい

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仮想空間に身を投じる女性

こんにちは、なな子(@nnk__1105)です。

皆さんは7月16日から公開されている映画『竜とそばかすの姫』、ご覧になりましたか? わたし自身、細田守監督の作品は最新作になるにつれ(特に、細田監督が脚本を担うようになってから)食指が動かなくなっていたのも事実で、今回も観に行こうかなあどうしようかなあと悩んでいたら友人が誘ってくれたので行ってきました。

結論、この映画を観ようと思っているのなら、絶対に映画館で観たほうがいいです。

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『竜とそばかすの姫』あらすじ

自然豊かな高知の田舎で暮らす17歳の少女・内藤鈴(すず)はそばかすが特徴的な内気な少女。すずは、小学生の頃から自分で曲を作るほど音楽が好きで、母と一緒に歌うのも大好きだった。しかし、母を亡くしてから、すずは歌えなくなってしまった。

すずは人づてに〈U(ユー)〉の存在を知る。「〈U〉では、誰もが人生をやり直せる」そんなキャッチコピーに心惹かれたすずは〈U〉に登録していた。

〈U〉では、〈As(アズ)〉と呼ばれるアバターを操作して電子世界に行く。ベルという名の〈As〉を作り、〈U〉に飛び込んだすずは、自分が〈U〉の中でなら歌えていることに気づく。みるみるうちにベルのフォロワーは増え、ベルは〈U〉の中でトップクラスのアーティストになっていた。

そんなある日、〈U〉の中で数億ものアバターが募るベルのコンサートが開かれる。ベルが歌を歌っていると、ライブ会場のゲートが開き何者かが飛び込んでくる。それが、「竜」だった。

「竜」は皆から軽蔑され、そして恐れられている〈U〉の鼻つまみ者。そんな「竜」が正義の味方を謳う〈As〉たちに追い回されているのを見たベルは思う。

「あなたは、誰?」

「竜」は一体誰なのか。「竜」の正体を暴け。「竜」を〈U〉から排除しろ。

そんな運動が広まる中、ベルだけは「竜」を助けたいと「竜」の正体を探す──。

『竜とそばかすの姫』よかったところ

・音楽

・〈U〉の世界観

・「竜」にすずがベルだと証明するためのライブシーンの演出

・カミシンとルカちゃんのもだもだシーン

音楽

本作はオープニングからベルが歌うところから始まるのだが、本当に音楽がよかった。

前情報を入れずに観たので、すずに声を当てている人とベルの歌声の人は別キャストかな? と思っていたのだが、観終わってから調べてびっくり。なんと両方ミュージシャンの中村佳穂さんが演じ、歌っていたのだ。

ミュージシャンを声優起用するのも勇気のいる判断だと思うが、本作ではあのYOASOBIの幾田りらさんもヒロちゃん役として声優起用されており、おふたりともとてもいい演技をしている。

特に音楽で感動したのは、

・すずが橋の上で歌うことを試みるところ

・「竜」にすずがベルだと証明するために〈U〉の中ですずとして歌うところ

の2点。

前者のシーンでは、かすれるような高音がいくつか出ただけで、すずは吐いてしまう。その切実な演技がとてもよかったし、吐くほどリアルの姿では歌えなかったすずが、たったひとりの人に信じてもらうために大勢の前でベルではなくすずとして歌う後者のシーンは感動的だった。

途中ですずが感極まって泣いてしまうのだが、そこのえずきながら歌うすずの演技は声を当てているのと歌を歌っているのが同じ人だからこそできた芸当だと思う。

〈U〉の世界観

このあと細田守監督の脚本については酷評するところもあるのだが、それでも細田守監督の描くインターネットの世界ってワクワクするな〜というのも素直な感想としてある。

インターネット上にこんな大仮想空間が開かれていたら、誰しもが夢中になるのもおかしくない。

また、今回はボディシェアリングを通してリアルの自分がヴァーチャルな自分とリンクするというところがおもしろかった。理想の姿ではなく、あくまで現実の自分の延長線上としてインターネットで振る舞う。

それは昨今TikTokなどで素顔を晒すことに抵抗がなくなった若者のインターネット観から着想を得ているのだろうか。確かに最近はリアルとSNSの境界が薄くなってきたなあと思っていたので、新しいインターネットの描き方をしているのは過去の栄光にすがっている感じがなくて気持ちよかった。

「竜」にすずがベルだと証明するためのライブシーンの演出

このシーンが一番よかったなと思っている。人前では歌えなかったすずが、大勢の「ベル」のファンの前で「すず」として歌う。

モニターにはすずの姿とともにベルの姿も映し出される。このとき、実像が現れても偶像崇拝は終わらないのか、ベルはみんなのアイドルのままなのか、とわたしは考えていた。

〈U〉のファンたちが好きなのはカリスマ性があってビジュアルもパッと目を引く「ベル」であって、歌うこともできないし垢抜けてもいない片田舎の女子高生「すず」ではない。最初はどよめいていたり、「アンヴェイル(=〈U〉の中でリアルの姿を暴かれること)されてかわいそう」と哀れんでいたファンたちも、すずが歌い出して確信する。この子が、この少女が、ベルだ!

オリジナルの輝きは、ヴァーチャルの姿でもリアルの姿でも通じているんだというのを感じた。みんなが恋していたのはベルではなくベルの歌声なのだから、そこのオリジナリティはすずであっても揺るがない。その強さが眩しかった。

カミシンとルカちゃんのもだもだシーン

これはほぼ余談といっても過言ではないのだけれど、ここの駅で真っ赤になってぎこちなく喋るふたりは本当にかわいかった。わ〜高校生だなあ、と思って微笑ましかったのである。

まだ映画も冒頭のシーンで、ルカちゃんが吹奏楽部のメンバーと中庭的なところで演奏をしていたらカミシンがそこでカヌーの勧誘を初めてみんなが迷惑そうにするシーンがあるのだが、このときルカちゃんがカミシンをちらりと見ていたのは邪険にしていたのではなく恋する乙女の瞳だったのだなあと思ったら本当にかわいらしくてよかった。

『竜とそばかすの姫』悪かったところ

・虐待親のいる元へ女子高生をひとりで送り出す大人たち

・すずから母への感情が昇華されたように描かれていること

虐待親のいる元へ女子高生をひとりで送り出す大人たち

今回記事を書くにあたっていくつかブログを拝見したのだけれど、どの方も触れていたのがこのシーンだ。

所感ではあるか、細田守が脚本を手がけるようになってからの出てくる大人たちって、TRPGの警察くらい機能していないというか(伝わる人にだけ伝わってほしい例え)、大人がきちんと大人の役割を果たさない世界で奮闘する子供を美談として描いていて、それって結構危険なことなんじゃない? とわたしは思う。

確かに逆行でも屈しない人に一定の美しさはあるのだけど、それを周りの大人が役割を果たさない子供に強いるのはいくら物語だとしても倫理的にどうなんだ、と思ってしまうのだ。

「しょうがないわ……すずが決めたことだもの……」と送り出す母親代わりの保護者連中や、「その人を助けてあげなさい」とメッセージを送る父親になんとも言えない気持ち悪さを覚えたシーンだった。

すずから母への感情が昇華されたように描かれていること

すずの母親は氾濫した川の中で助けを求める幼い少女の命を救おうと川に飛び込んで死んでしまうのだが、そんな母に対しすずは映画の前半でこう独白している。「わたしと生きる未来より、そんな名前も知らない子供を助けることの方が大事だったの」

映画の後半ですずが「竜」とその弟のリアルを救うために東京まで駆けつけるのだが、そのときにこの母親が川に飛び込むシーンがインサートされることで、あたかも「すずは母があのときどうして少女を助けたのかわかったのです」風の演出をされていたことにムカついた。

同じような状況に立たされて(いうほど同じでもないと思うが)、すずが少年たちを救ったことが、すずの母が名前も知らない少女を助けるときの衝動と同じだったところまでは理解できる。けれど、そのときの気持ちとリンクしたからってすずの母が「娘との未来を捨てて少女を救った」ことのアンサーにはなっていない。ここで納得させるのはあまりにもご都合主義な感じがして嫌だった。

まとめ

今回、『竜とそばかすの姫』のレビューをしてきたわけですが、「細田守監督、脚本は向いてないよ……」というのが率直な感想です。脚本のアラが目立つ所を歌唱シーンで補ってなんとか作品のていを保っているような感じに受け取りました(よく考えたらベルが「あなたは誰?」ともうまでの動機も弱いし、ラストも弱いしで本当にアラがひどい)。

だからこそ、これは劇場マジックで観ないと感動できないと思うので、視聴予定の方は金曜ロードショーでいつかやるでしょ、なんて思わず今すぐ劇場に足を運んだ方がいいです。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。

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なな子

なな子

なな×ロマを運営しているなな子です。文学とあたたかいお茶と高所が好き。
日常をちょっと豊かにするブログとしてあなたの毎日に寄り添えたらうれしいです。

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